イギリスに10年間留学していた私。
もともとは、留学なんて頭にも浮かばないし、まさか自分がするとも思っていませんでした。
今考えてみると、いろいろな巡り合わせで想像もしなかった人生になった気がします。
中高時代の先輩がきっかけ
普通に中高時代を送って、普通に日本の大学に行くんだろうなぁと漠然と思っていた中学時代。
学校で「こうなりたいなぁ」と憧れていた先輩がいたのですが、高校卒業後はアメリカの大学に行くと知りました。
その時ふと、「あ、大学って日本じゃなくてもいいんだ!」と思ったんですよね。
それからというもの、海外のことが頭から離れず、まずは英会話でしょ!ということで中2の頃から英会話のクラスに通うようになりました。
高校1年の夏で大変化
英会話を続けていたこともあり、次第に海外での生活に興味が出てきた高校1年生。
試しに夏の短期語学留学であるサマースクールに挑戦することにしました。
行き先はロサンゼルス。アメリカで1ヶ月過ごせちゃうなんて〜!とウキウキしていたのですが、最小人数に達さなかったそうで、ロサンゼルスのコース自体が行われないことになりました。
急いで他のコースを探すことになったのですが、ちょうどその頃世界中で流行っていたのがSARS。
なんだか今の状況と少し被りますね。
当時も中国から感染が広がっており、留学自体行われるかも危うかったのを覚えています。
そんな中、イギリスのボーディングスクールで行われるサマースクールがいち早く「この年には中国からの学生を受け入れない」と発表。親に「ここにしなさい!」と半ば強引に決められ、太陽さんさんのLAライフとま反対のイギリスに行くことになったのです。
もちろん、最初はブーブー言っていた私。
でもせっかく海外で過ごせるんだからと、意気揚々と旅立ちました。
人生で一番楽しい夏休み
ヒースロー空港に降り立って、イギリス南部にあるボーディングスクールへ向かいます。
着いてすぐに出された食事は、茹でたジャガイモとソーセージ。味はついていなくて、テーブルに置いてある塩コショウで自分で味つけをするスタイル。初日から不安が募るばかり(笑)。
よく考えてみたら、まだミレニアムも過ぎてすぐの頃。
「イギリス料理はまずい!」が定番でした。今はそんなことないですよ。ずいぶん進化した気がします。
夏だったので夜9時まで明るかったり、ウェルカムパーティーがあったりと、新しい刺激だらけです!
ウェルカムパーティーは校内の体育館で、DJを呼んで行われたディスコパーティー。
日本ではこんなこと経験したことないですから、最初はモジモジしていましたが、若いからなのか?順応早く、パーティーの間中踊りあかしました。
今でも当時かかっていた曲を聞くと、パーティーの情景が一気に頭に浮かびます。
サマースクールにはスペイン、フランスやポルトガルなど、ヨーロッパ中から同年代の子たちが集まっていて、同い年なはずなのに妙にみんな大人に見えて、カルチャーショックを大いに受けたことが鮮明に記憶に残っています。
お近づきの印に日本のものをいくつか持っていったのですが、ポルトガルの男の子にけん玉が大ウケ!
ハマり過ぎてずっとやっていて、紐が弛んでいたくらい(笑)。
まさかけん玉が外国人の子にウケるとは思いませんでした。違う文化のものだと、新鮮に見えるのでしょうね。
結局けん玉は彼にプレゼントして帰ってきました。
英語で英語の授業を受けられたのも、違う頭の使い方で新鮮!同じクラスの子達とは蓋を開けてみたら、不安よりも楽しさ倍増の日々。
3週間のサマースクールだったのですが、この短期間で私が大きく変わったことは間違いないというくらい、貴重な時間でした。
運命的な出会い
楽しい毎日のなかで、私の人生を一変することが!
毎週末、近場に「エクスカージョン」として小旅行に行っていたんですね。
そのうちの一つが、南部の観光名所として有名な街、Bath(バース)。
なんだかよくわからないけれど、バスを降りた瞬間から魅了されてしまい、先生にも「私、将来この街の大学に通うわ!」と宣言しました。
サマースクールから帰国してすぐに、Bathにある大学について調べてみると、広いキャンパスに、いろいろな学部がある!街自体は私が生まれた年に世界遺産に登録されており、なんだかすごく引き寄せられたんです。
なんとなく社会学や政治学というものに興味を持っていたのですが、よくよく調べてみると、これらの学問はイギリスが発祥らしい?!
これは、イギリスを目指さないわけにはいかない!と、どんどん強くなるイギリスへの思い。
この時から、「イギリスの大学に行く!」という目標がガッチリできました。
それまでは国内の大学を目指していましたが、180度路線変更。
そうとはいえ、親のことを説得しきれなかったので、国内の大学との併願です。
怒涛の大学留学対策開始となりました。